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当たり多いクジでハズレを引いた人生。挫折まみれでも栄光をつかむ



はじめまして、とーひーといいます。

プロフィールを読んでいただき、ありがとうございます。
自己紹介をさせていただきます。

自己紹介記事よりも、さらにくわしく僕自身についてお話させていだだきます。

とーひーの名前でブログとかXとかで情報発信しています。

こういうことをやっていると30代くらいかなと思うかもですが、アラフィフです。
50歳超えています。んで、独身です(結婚歴なし)。



生まれは人口10万人も満たない田舎で、10年ほど離れていたものの、また戻ってきました。



僕はそんな田舎では比較的裕福な家庭に生まれ育ちました。
父親は税理士で、大学もMARCH(中央大学法学部)。

父の年代ですと丁稚奉公も多く、高校へ行けたら御の字の時代。
その中で東京の大学へ行った父は、勉強がかなりできたわけです。


一族も割と勉強ができて、父方のいとこは医者が1人。母方のいとこは医者が2人。
他に歯科医師、税理士、薬剤師。大学も、国立名古屋大学、早稲田大学、立命館大学など。

自慢をしたいわけではありません。



僕の世代ですと女性への教育は男性ほどには熱心ではない時代。
熱心に教育を受けた男の中で、「資格」をもっていない者「MARCH以上の大学」を卒業していない者は、
僕だけなんです。


つまりは、「当たり多いクジでハズレを引いた」ようなもの。


それが、とーひーです。

僕の人生は、挫折まみれ・コンプレックスまみれ。


幼少から小学生


幼少の頃は、比較的裕福でした。
やっぱり、税理士は儲かるんですね。

でも、僕は父親を尊敬できません。(今も)

それは、DV。(僕の幼少期にそんな言葉はなかったけど)
母親への暴力ですね。

僕がお風呂に入っているときにはじまり、裸で飛び出して止めたこともあります。

「どうか喧嘩をしないで欲しい」

毎日神様にお祈りをしていました。

いつも怒っているお父さん
いつも泣いているお母さん

これが幼少期の記憶です。


もう一つ、父親を信頼できないところがあって、
それが、「世間を馬鹿にしている」こと。


例えば、今だったらスマホみんなもってますよね。
これをダメだと言い出す。

多くの人に受け入れられているのは必ず理由があるもの。
でも、それを断固否定してくる。

僕が小学5年のころから、ファミコン(いわゆる家庭用ゲーム機)ってのが浸透してくるのですが、
父親は否定。

当時は本当にどこの家庭にもありました。

そうなると「もっていないと仲間外れにされるかも」と考えると思うのですが、
父親は考えない。

自分が気に入るか、気に入らないかだけ。
自分が理解できるか、できないかだけ。

世間からずれた感覚だと思うのですが、自分が正しいと思いこんでいます。

当然、僕は反論できません。
反論すれば、母親へのDVがはじまるからです。

ただ父親の機嫌を損ねないように振る舞うだけです。

(冒頭で50歳過ぎて独身と書きましたが、これが原因。
僕は、結婚にまったく希望が持てません。)

このような日常を送った子供は自己肯定感が低くなって当然です。
見本として育つ親がこうなのですから。

僕の中にある「挫折感」「コンプレックス」「自信のなさ」は、この時期植え付けられてしまったのかな……。
と、思っています。

小学校高学年~中学校(わずかな希望を見つける)

僕は小学1年生から水泳を習っていました。
体が弱く休みがちだったことから、医者からすすめられたようです。

で、ここでも挫折です。

水泳というのは、4種目。「クロール」「平泳ぎ」「背泳ぎ」「バタフライ」です。


水泳をやっているとみんな「クロール」は得意です。
一番速い。遠泳も。つまりは、もっとも効率の良い泳ぎ方がクロールだからです。


二番目が、「平泳ぎ」ですね。

この「平泳ぎ」で僕は苦労したんです。
平泳ぎを習うのはだいたい小学生2年生くらいなのですが、ぜんぜんダメ。

同じ時期に入った子たちが、進級して上のクラスにいっているのに、僕が上がれず。
あとに入った子たちにまで抜かれて、小学3年生なのに2年生の子たちといっしょにやる。

ツライですよーーー。

あのころの1年って、大きい。パッと見て、背が違う。
小さな子どもたちの中で、僕だけでかいんです。だって学年が違うから。

ただでさえ恥ずかしいのに、目立つんですよ。

泣いてました。もう水泳行きたくないって。
練習も泣きながらやってました。

それで、やっとやっと進級して。みんなからは遅れながら、なんとか5年生まで続けて。
最後の種目「バタフライ」を教わるんですね。

これが、ハマった。


最後に習うだけに難易度が高く、みんな苦労するのですが、これが僕にはバチっときたんです。

バタフライのキック(足の動き)って、「ドルフィン・キック」ていうんですが、これが上手くできたんですね。

ぶち抜きました。

みんなでせーので飛び込んで、僕がトップに踊り出るんです。
あのダメダメで、下の学級の子たちと練習していた、みんなよりもいつも遅れていた僕がトップです。

進級も一気にごぼう抜きで、一番上のクラスに入りました。(同学年で2番目に早かったですね)


これを武器に中学校に入っても1年生でリレーメンバーでしたし、1年生から県大会出たのって僕ともう1人だけなんですよね。

ダメダメダメダメでも、なにか1つ得意技を身につければぶち抜ける。

僕を支える、大事な考え方をここで身につけました。


高校生時代(一番暗い時期)


人生を振り返ってみて、もっとも暗い時期は高校生のころです。

水泳で結果を出せた中学校時代と違い、高校にはプールがなく。
もともと運動は苦手、勉強もあんまり。

おまけに、中学からその高校へ行った同級生は少なく。

中学校まででつくった人間関係は0。
1から構築しなければならなくなったのですが、それに失敗。

友だちは1人もおらず、孤独な高校生生活でした。

さらに、担任と馬が合わず。
ひねくれた野郎みたいに扱われていました。

休み時間とか、図書館にいましたね。

修学旅行とかもあったけど、行かなければよかったと思うくらいの
つまらん思い出ですね。

(ただ、いじめではありませんよ。
僕が、まわりから距離をとっていた)


高校生生活なんて、つまらなくてよかったんです。
でも、大学受験は成功させたかった。

東京に憧れていましたから。
大学受かって、東京に行きたい、と思っていました。


でも失敗しました。

原因は、效果のない勉強法をやり続けたこと。

成果が出ないのであれば、やり方を変えることです。
自分に合っていない勉強法をしても意味がないから。

ですが、そんなことは思いもしていませんでした。

勉強には「やり方」があって、
人によって「合う、合わない」がある
自分に合った勉強法を見つけることが大事

これを知ったのは、社会人になってからでした。


大学時代(ダメな自分を変えたいと……)


一年の浪人をしたのち、やっとのことでFランクの大学に入りました。

思い出せば、中学生レベルの試験でした。

当然来ている学年のレベルは低かった。
ほどんどか勉強せずに、推薦で入ってくるのですから。

WHITEさえ読めない人もいたくらいです。

本当に物を知らないし、自分の力でなんとかしようという気持ちもない人ばかり。
誰ががなんとかしてくれる、と思っている人ばかり。

〇〇したい、と僕がいっても、みんな冷めているんです。

あれやって、これやって、と夢見ていたことは何も叶いませんでした。

それでも僕は何かをしたい、と強く思っていました。
それは、「ダメな自分を変えたい」から。

僕は焦ってたいのだと思います。

はやく何かしなければ。
何か大きなことをしたら自分を変えられるかもしれない。

僕は大きな買い物をしたんですね。
数百万円の借金をして。

パワーを貰う、みたいな気でいました。

アホですわ……。

そんなことで変わるはずがありません。

借金を残したまま、僕は大学を卒業しました。

就職と同時に資格試験開始

向いていないよ営業マン


大学を卒業後は今で言うIT系に就職しました。

良さそうですよね……。

ところがその会社は訳ありでした。

あまり良くない売り方をしていた会社で、扱う商品も一昔前のシステムでした。

当時はまだコンピュータは浸透しておらず、でも興味はある人が多い。
そこを狙って情弱に売り込むみたいなことをしていました。

僕は営業でしたので、直接お客さんにそれをやる役割です。

ちょっとツラかったですね。

本当はやめたかった。でも止めると言い出せば父親が怒りはじめる。

20代になっても、物事を決めるのに親の顔が浮かぶ。
情けない男です。

いやいや営業を続けていました。
どちらかといえばコミュ障で、人と話すのは苦手。営業向きではありません。


それでも、わかってきたことがありました。
それは、

・自分の得意なお客さんのパターン
・聞き役に徹しても売れる


お客さんの中には、僕のようにペラペラと流暢に話せないタイプを「信用できる人」と勝手に判断してくれる人もいました。話せないだけなのに「話をよく聞いてくれる奴」と判断してくれる人もいました。


その経験を通して

得意なパターンを見つければ上手くいくんだ、

と学びましたね。

資格試験に挑戦

就職すると同時に資格試験の勉強をはじめました。

父親のすすめです。

父親は税理士でしたが、税理士になれとは行って来ず、別の資格試験をすすめてきました。
これが父親なりの「税理士になるだけの頭があるのか?」を問う試練だったと思います。

父親には逆らえない情けない男ですので、すぐに了解。
資格試験の勉強をはじめました。

当時はまだネットによるオンライン授業なのありませんので、試験対策の学校へ通いました。
半年のコースで、16万円でしたね。

勉強は熱心にがんばっていました。成績もクラスの中では上位。
ですが、超苦手科目がありました。

僕は昔から、数字の計算が大の苦手。
誰でもとれるといわれている「簿記3級」も挫折したほど。

苦手科目が克服できませんでした。

途中でこれは無理だと気づき、資格試験をやめたかったのですが……。
そんなことを言い出せば、父親が怒り狂います。

僕は言い出せないままに、3年半勉強を続けました。

それでも苦手は克服できず、その旨を父親に伝えて資格試験はやめました。
100万円以上を無駄にしてしまいました。


心機一転 職人の道へ


30歳手前のころです。進路変更をすることになりました。

職人の道です。(家具をつくる職人です)

これも情けないことに、父親のすすめです。
どこからか聞いてきた話を僕に言ってきたんですね。

当時は職人を育成する学校が全国各地に数件できていました。
勉強ができないのなら、「手に職を」と考えてくれたのでしょう。

実は僕は手先は器用。図工は大好きでした。

「向いてるかもしれない」そんな期待で、職人養成の学校へ行くことにしました。


ところが……。


授業がはじまるや、まったく向いていないことが発覚します。
他の生徒がポンポン技能を習得していくのに、僕はモタモタ。

こんなはずでは……、と思うのですが。

何と言っても、すでに走り始めています。
途中下車は許されません。

腹をくくり、技能の習得につとめました。


職人として学んだこと


僕は残念ながら大した職人にはなれませんでした。

ですが、20年近くその仕事に従事しました。

ものをつくるのって、楽しいんですよ。
家具をつくっていたのですが、僕の職場は分業ではなかったんです。

1人1つ作らせてもらえました。

・任せてもらえるよろこび
・少しずつ家具できていくよろこび
・自分がつくったものが売り物として出荷されるよろこび

給料はめちゃくちゃ安いのですが、充実していました。


技術を習得することや、技を盗むこともおもしろかった。


家具職人の世界はこの道50年なんて人もいるんですよね。
その人達の仕事っぷりってかっこいいんですよ。

憧れます。

でも話が合わない。レベルが違い過ぎて。

そこで、自分より少し先行く先輩をよく見るようにしたんですね。
するといろいろとわかってくるんですよ。(この辺YouTubeに上げました)



めちゃくちゃ真似しました。

その人が持っている道具を買ってみたり、治具(仕事を効率よくするための補助道具・職人は自分でつくる)を作ってみたり。

自分の仕事の手を止めて、ジッと観察したり。

「あ、〇〇さんあんなことやってる。真似しよ」みたいなことを繰り返していく。



いろいろと学ばせてもらいました。

・少し先行く人から学ぶとよくわかる
・真似で十分対応できる
・試行錯誤することで技能は習得できる
・観察し、やってみることで、自分に落とし込んでいく
・そのときわからなくても、ある瞬間にわかるときが来る


運命を握られている不満

職人の仕事自体はおもしろかったのですが、経営者にはがっかりさせられました。

というのの、小さな企業が多いんですね。

高度成長期でグッと伸びたのですが、景気の良さで伸びただけ。
さらに、二代目社長・三代目社長が多いのですが、これがやる気がない。

なんの努力もなし、なんの試練もなし。
ただ社長の子どもとして生まれたという理由だけで、自動的に社長になった人たちばかり。


自分でなんとかしてやろう、という気がない人ばかりなんです。

やれ景気が、やれ公共事業が、やれ政治がと、文句をいうばかり。

7年以上勤務した会社が廃業になったときに言った社長の言葉は「私が悪いのではない。政治が悪いんだ」でしたから。


その後同業の会社をいくつも転々とすることになりましたが、どこの経営者も同じ。

朝に図面の変更の連絡があったというのに、それを夕方に職人に知らせに来る。
その程度の報告さえ、ろくにできない人が経営者をやっています。


仕事自体は好きだったのですが、このまま続けていてもレベルの低い経営者のもとで働くことには嫌気がさしていました。こんな奴らに自分の人生の運命をゆだねられない。

また、業界自体もずっと不景気。

仕事が明らかに減ってきていました。技術を磨く機会が年々少なくなっている。

とどめは、コロナで仕事がまったくなくなった。

他の事情もあり、僕は職人の道から足を洗うこととしました。

激しい後悔の末にたどり着いた1つの考え方


激しい後悔の日々でした。

自分はどうしてこんな将来性のない業界に入ってきてしまったのだろうと。


こんな技術は身につけても意味がなかった。
自分は20年間無駄した。

どうしてこうなった?

あいつだ。父親が僕にやれと命令したからだ。
あいつが、勝手な思い込みで、業界のことなど何も知らないくせに、すすめてきたんだ。

あいつはいつもそうで、余計なことばかりアドバイスしてくる。
まったく役に立たないアドバイスばかりしてくる。

気に入らなければ怒り出し、挙句の果てに暴力だ。

おかげで、僕の人生は台無しだ。

後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・後悔・恨み・・・・・・

父親のいうことを聞いてしまった後悔と父親への恨み。
数ヶ月間続きました。

毎日毎日何時間も後悔と恨みの日々。

ですが、そんな苦しみが終わる日が来ました。


何がきっかけだったのか、まったく覚えていないのですが、「自責思考」と「他責思考」という考え方を知ったんですね。

自責思考:自分自身にものごとの原因や理由がある。

他責思考:他人や周囲の環境にものごとの原因や理由がある。


この考え方を知って、僕は楽になれたんです。


父親を恨み続けていたのですが、父親のアドバイスを聞き入れたのは自分なんですよね。
いかなる理由があろうと、自分が決めたことなんです。

なんであのときあんなアドバイスを、なんであのときあれしてくれなかったんだ。
と嘆いたところでどうにもならないんですよね。

過去をどれだけ後悔してもどうにもならないんですよ。

どうにもならないことを、なんとかしようとしているから苦しいんですよ。


父親のアドバイスを聞き入れたのは、自分ですよね。
つまり、ことの結果の原因は、自分の判断が間違っていたから。

何でもかんでも、結局のところ「父親のいうことだから」と聞き入れてきた自分が悪いんですよね。

この考え方に行き着いて、僕は楽になったんです。

・すべては自分が原因。
・自分の考え方が悪かった。
・だったら、自分の考え方を変えれば良い。



自分を変えるのであれば、これからいくらでも変えられる。

僕の人生に希望が差し込みました。

人生は何が起こるかわからない、自分に力をつけておくこと


人生というのは、何が起こるかわからないものです。

予想通りの人生を送っている人のほうが少ないでしょう。

・年功序列、終身雇用のはずが、突然終わったり
・大学にいけば良い給料が保証されるはずが、昇給すらなかったり
・まさか、この年まで結婚できないとは……。なんて人も


僕の場合の“予想外”は、病気でした。

「緑内障」という目の病気です。
40歳以上の20人に1人は発症するという、割と誰でもなる病気なのですが。

僕は、30歳すぎたくらいで発症しました。

緑内障は自覚症状がなく、気づいた頃には末期。
という恐ろしい病なのですが、
そういう意味では、発見し治療できたことは運がよかったといえるでしょう。

定期的に手術も必要で、その都度仕事を休まざるを得ず。
その間に考える時間ができたことも、よかったと思っています。

“ネットで稼ぐ”

ということを知るんですね。

パソコン1つで稼げる世界に魅力を感じました。


・時代遅れの業界では先がない
・会社にすべてを任せることは危険

過去の経験から、「危機感」も十分にありました。


おまけに、目の病気。
まじめに治療はしていましたが、完全に進行を止めることはできず、視力が低下。
車の運転は極力控えたい状況。

田舎では車の運転は必須です。できないとなると、仕事はかなり限られてしまいます。


これらの事情もあり、「ブログやSNSで稼げる仕事」に強く惹かれていきました。


その後の変遷についてはこちらの記事でくわしく書いています。


成長していく自分 挫折まみれでも栄光をつかむ

ここまで読んでいただいた通り、僕は挫折まみれの人生です。

でも、50歳を過ぎた今でも日々進化し続けていることを実感しています。


新しい知識を入れて、試行錯誤を繰り返しているから。


「文章上手くなりましたね!」


と言われることも増えています。


過去はどうだっていいんです。
挫折まみれだっていいんです。



気づき、努力をはじめたその日から人は変わります。



僕は、自分と同じように「自己肯定感が低く、挫折まみれの人」を助けたい。



そのために、

まずは自分が成果を出して、できることを証明したい。



そう思って、情報発信やっています。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

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